再録コルサコフ


 俺と彼は同じ卒業アルバムに載っている.中学校の頃の.
 
 回りくどい言い方をしたのは,確かに中学校で同じ学年ではあったけれども友達ではなかった.同じクラスになったことも無ければ同じ部活にも所属していなかった.つまりはそういうこと.
 
 そして気づくと僕らは同じ高校へと進学していた.それがきっかけで二言三言話しを交わしたことがあるけれど,それはたまたま同じ地下鉄に乗ったときに「期末どうだった?」「俺?全然駄目」とか,そういう学生の間でのみ通用する社交辞令だけだった.俺ら,と自分とひとくくりにして話しをするのに違和感を感じるような,その程度の仲でしかなかったのだ.
 
 
 彼が死んだ.
 
 
 その話を聞いたのは誰からだっただろう.自殺だったそうだ.高いビルの上から飛び降りて,そして彼はいなくなってしまった.それは俺が毎朝登校時に自転車で真横を走り抜けていたビルだと後に友達から教えられた.聞きたくは無かったのだけれども.
 
 
 直接交友は無かったけれど,一応同じ中学出身だということで俺は彼の葬式にいった.それは平日の午前中に行われたのだが,高校は公欠扱いするといってくれたので,実は俺はそれを目当てに(つまりは学校を公的にさぼりたくて)そのお通夜へと行ったのだ.それはとても日差しの強い日で,すこし早めについた僕とその友達は会場の側の公園で雑談をして時間をつぶしたように記憶している.そしてそこに死者の姿は全くなかった.
 
 葬式の間のコトは殆ど覚えていない.彼の一番の友人が泣きながら文章を読み上げていた,とかそれくらい.
 
 決まり切ったコースをたどって葬式は進み,どういう経緯でそうなったのかは分からないのだけれども,俺は親族や親しい友人らに混じって彼と対面することになった.
 
 
 そしてそこで僕は泣いてしまった.
 
 
 悲しかったのでは無い,と今はそう思う.悲しいのではなくただ泣きたくなった.そして泣いたのだ.俺には思い出して悲しむような彼との思い出なんて無い.それに考えてみれば,俺は彼の声さえまともに思い出せないんだ.だけどその時に強く泣きたくなったことだけは強烈に僕の記憶の中に焼き付いている.陳腐な表現で申し訳ないけれども.
 
 そして式場を出た僕は,自分が泣いたことなんてすっかりどうでも良くなっていて,時計を見て4時間目の授業に間に合うことを確認して学校へ向かう.教室では太った英語教師が汗を拭きながら授業をしていた.現在分詞と過去分詞,そしてその応用.
 
 
 
 今,悲しくなったときに俺はその日のことを思い出す.彼の死ではない.理由もなく強く泣きたいと思った自分をだ.そうすることで,何かを我慢できる様な気がする,もしかしたらそう信じているだけなのかもしれないけれども.
 
 
 死者は残された者に必ず何かを残こすといったのは誰だっただろうか?
 
 
 
 
  彼は俺に泣くことの出来る自分とそれを我慢するコトの出来る自分に気づかせてくれたのではないかと.そう思うのです.まぁ,「そんなもんしらねぇよ」とか言われそうですがね.